はじめての方へ

はじめての方へ
はじめての住宅の外壁工事で分からないことだらけで困っている方の救世主になろう、と思いブログを運営することにしました。救世主の頭文字をとりまして、”Qちゃん”と呼んでください。

いやいや、救世主は”savior”だから頭文字は”S”じゃないの?なんて突っ込まずにQちゃんでお願いします。

検索上位のブログの内容はどれを見ても似たりよったり塗装工事を20年以上経験した筆者が、実際に経験した塗装工事の内部情報や実態を紹介します。

建築塗装工事会社で、新築や改修工事(マンション・警察・図書館・小学校・中学校・高校・大学・工場・住宅など)の内部・外部の吹付や塗装工事の施工管理を20年、退職後フリーでマンション・大企業の社員寮・電力会社・宗教団体など大規模修繕工事の施工管理を経験してはや9年。住宅の外壁塗り替え工事は200件以上の施工管理を経験。

なぜこのブログを始めたのか

1990年代、住宅の外壁塗り替え工事で消費者相談が相次いでいた!

今から約30年前の1994年から塗装会社で仕事をしており、インターネットなどは、全然普及してなく、住宅の外壁を塗り替えようとすれば、依頼するのは知り合いに紹介してもらう、知り合いがいなければ訪問販売の営業マンから、もしくは近所で工事していれば、その業者に依頼するのが主流の時代。

知り合いではない場合は、ひどい施工が多く、実際に何件か相談を受けました。

現在では簡単にネットで調べることができます、しかし当時は何が良い施工で、何が悪い施工なのか、専門家に直接聞くしか分からなかったのです。

当時は、訪問販売業者がやりたい放題でした、本当に無法地帯。

2000年、ついに悪徳業者を除外しようと業界がキャンペーンを開始!

ちょっとした社会問題にもなりまして、そのような問題をなくそうと日本塗装工業会(日本で1番大きく権威のある塗装組合)が、2000年に塗装(ペインティング)と維持(メンテナンス)という意味を込めて”ペインテナンスキャンペーン”と銘打ち、組合に所属する会社で一定期間内(塗装工事が暇になる4月~6月末)に、住宅の塗替えをすれば、組合が性能保証をしましょう、しかも抽選で景品もプレゼントします!という企画が始まりました。

当時、会員だった会社は建設会社(ゼネコン)から直接仕事を受注する1次下請業者が多く、住宅の外壁塗装をメインにしている業者は皆無でした。

そのような背景もあり、第一回の説明会場では参加する業者も少なく、あまり乗り気ではない感じであり、頑張っているのは協賛するメーカーだけ、という雰囲気だったのを覚えています。

当時の協賛メーカーは、たしか、日本ペイント関西ペイント水谷ペイント大塚刷毛くらいだったと記憶しています。この最初の時期(数年間)のペインテナンスキャンペーンは非常におすすめでした。

そんなキャンペーンも結局・・・                    自分の家は自分で守るしかない!

そんな感じで始まったペインテナンスキャンペーンも、毎年1回定期的に開催され、2023年度は第24回となりました。
2024年度も開催されるでしょうし、おそらくその後も続いていくはず。
しかし会員も昔とはずいぶん変わっており、当時そのような問題をなくそうとはじめたキャンペーンでしたが今となっては・・・。
協賛メーカーも2023年を確認すれば、来るもの拒まずになっている感じですね。
もはや手放しでおすすめはできなくなってしまいました

行き当たりばったりで業者を選び依頼すると、まともに塗装してもらえず後悔する可能性がとても高くなるのが住宅の外壁塗り替え工事です。

10年に1度しか行わない外壁塗装工事ですが、100万円程度の費用がかかりますので大きな出費です。

その費用を無駄にしないようにする為、慌てて業者に依頼する前に、知識を持っておきましょう。

このブログを見るだけで、後悔なく大事な住宅の外壁塗装工事を無事に完了できる知識が付くよう心掛け記事を書いています。

大事な住宅の外壁を塗り替えようと検討しているのに、まったく塗装の知識がない、しかも塗装業者に知り合いなんていない、もうどうしていいか分からない。そのように困り果てている方のために「住宅の外壁塗り替えで困ったときは救世主Qちゃんにおまかせ」を作りました。

あなたには、「このブログに辿り着いて本当に運が良かった!」と言ってもらえるように、絶対に後悔なく大事な住宅の外壁塗装工事を無事に完了できるお手伝いをさせていただければ幸いです。

外壁診断士・外壁劣化診断士の資格保有者

ブログを書くにあたり肩書も必要ですよね、全国住宅外壁診断士協会の「外壁診断士資格」と、住宅保全推進協会の「外壁劣化診断士資格」を取得しました。

救世主Qのプロフィール

誕生~学生時代

関西で生まれ、ごく普通の小学生でしたが、中学で全国大会常連の厳しい体育会系クラブに所属し、ただひたすら家と学校を往復する日々を過ごしていました。

練習時間が長かったのでそれなりの成績を残し高校は推薦入学、高校は中学よりも厳しかったです。

大学生活は中学・高校とは一転、和気あいあいの緩いクラブ活動をしつつ過ごしました。

サラリーマン時代

東証一部上場企業に就職

新卒で東証一部上場企業の専門商社に就職、営業部に所属し出張三昧の生活。

月末・月初の無駄に長い営業会議、諸先輩方の仕事に向き合う姿勢などに触れるたび、将来性がなく魅力のない会社だなぁ、と考え退職。

創業180年という老舗の大企業での社会人スタートはいろんな意味で勉強になりました。

最初の建築塗装工事会社

職人15人、番頭1人、事務員1人、社長、という建築塗装会社に、職人ではなく番頭として就職。

最初の1年間は仕事を覚えるために、現場で職人さんと同じように仕事を行い、仕事を覚えた後は番頭をするという話で入社しましたが、3か月ほど現場で職人さんと一緒に仕事をして4か月目には番頭として現場を任されるようになりました。

仕事内容は、中堅ゼネコン(建設会社)が施工する新築工事の吹付塗装工事と塗装工事が主であり、マンションなどを管理する不動産会社から依頼されるマンションの外部改修工事や室内の塗装工事、小規模な建設会社や工務店からの塗装に関する工事全般を請け負っていました。

得意先の現場所長の自宅や知り合いの住宅、上層部の方の自宅や従業員の方やその知り合いの家など住宅の外壁塗り替えの依頼は月に1、2件程度ありました

そのような現場を調査し見積もり作成、現場打合せ、現場施工管理、職人調整、下請け調整、材料発注、材料管理、現場書類作成、請求書作成など、つまり”職人さんが実際に塗装をする以外のすべての段取りが番頭の仕事です。

入社した当初は7時30分の出勤でしたが、5分早くなり、また10分早くなり、1年も経過した頃には6時20分出勤になって1秒でも遅刻すれば500円の罰金という会社になっていました。

おまけに土曜日・祝日は休日ではなく出勤で、休みは日曜日のみ、有給休暇もなく、夜7時に帰ろうとすれば「もう帰るんか、早いな」と言われ、労働環境は現在では考えられないくらいブラックでした。

子供がまだ小さく、日曜日にしか休めない、その貴重な日曜日も家族サービスは欠かせません。

子供が小学校に行きだすと、さすがにこのままの生活を続けると、身体はもちろん家庭も崩壊してしまうと考え、7年間お世話になりましたが退職を決意。

労働環境は最悪でしたが、塗装の仕事を最初にこの会社で覚えさせていただいたのは大正解でした。

それは感謝しかありません。

この会社は常に「自分の家を塗装する、そういう気持ちで仕事をしろ!」と指導しており、実際に塗装の技術レベルは非常に高い会社で得意先からの信頼もあり、同業他社よりも高い金額で仕事を請け負わせていただいていました。

2番目の建築塗装工事会社

次に勤めた会社は一般社団法人日本塗装工業会の副理事長をしている建築塗装工事会社。

その会社は、市長という親戚ができ、仕事量が増え、その増えた現場を管理する番頭が足りず、誰か良い人物がいないかと探していたようで、仲の良い下請け業者の社長に転職を考えており、相談していたところ紹介していただきました。

子供が小さかったこともあり、土曜日・日曜日・祝日は休み、朝の出勤は9時からという条件を受け入れていただき入社。

意地でも休日出勤しないぞ!ではありません。必要であれば出勤はしていました。

基本は休みですよ、というのが安心するのです。

仕事内容は前の会社とほぼ同じですが、内情は全く違う会社でした。

前の会社は、社長が全て知って(監視して)いないと気が済まなかったのですが、今回の社長はとりあえず関与したくない、全て任せます。という感じ。

紹介していただいた下請け業者の社長は知らなかったようですが、2、3か月もすれば、その会社はバブル崩壊でかなり借金があるのが分かりました。

ただ、後妻との間にできた子供がまだ中校生だったので、なんとしても会社はつぶさない、と言っていたので、市長の親戚でもありますし、社長の人柄といいますか、「まぁ、潰れるまで頑張ろう」と思い働きました。

もともとは建築塗装ではなく、設備塗装の会社でしたので、入社当初、ゼネコンの新築現場に挨拶に行った時の対応が凄く悪かったです、会社に対して相当悪い印象を持っているのはすぐに分かりました。

しっかりと打ち合わせなどできる番頭もいないのに、仕事は発注しなければいけない、ゼネコンの所長や所員からすれば気に入らないのは当然といえます。

しかし、当たりが悪いながらも気にせず、しっかりと打ち合わせをし、きちんと書類や施工もすると認めてくれるようになります。

市長がらみではない物件も見積もりをし、発注してもらえ、別の現場所長からも声が掛かるようになってきました。

次々と仕事の依頼は増え、担当する現場は粗利も常に3割以上は出していましたが、それでもどうしようもなくなり入社から7年ほどで倒産してしまいました。

3番目の建築塗装工事会社

会社倒産後しばらく休養していた時、下請け業者の社長から「番頭さんを探している会社があるんですけど1度話をしてもらえませんか」と連絡を受け、先の2社と同じく建築塗装会社に入社。

仕事内容は前の会社と同じですが、そこは先代がなくなり、息子が社長を引き継いだ会社で、80歳を超える勤務50年の大番頭さんがいました。

社長は歳をとってからの一人息子であり、中学から大学までエスカレーター式の私学に通っていた世間でいうボンボンです。

得意先の方は皆、口をそろえて「先代には本当にお世話になってね~」と言っていました。

職人さんや下請けさんも皆そう言っていましたし、職人さんは年配の方ばかりです。

居心地が良いのでやめる人がいなかったんでしょうね。

職人さんを大事にしていた、というのは事務所の細かい所を見ても分かります。

この会社の先代社長は最初の建築塗装会社のように、良い仕事をして適正な価格をいただき全うな利益を得るという商売をしていたはずです、昔に比べ売り上げは落ちているのでしょうが、その分人員も少なく職人の腕も下請けの腕も良い。

私も普通に気分良く仕事をしていましたが、5年程経過したころ「東京で1つ現場をしてほしい」ということがあり、社長が担当をすることになった。

社長は週1回は泊りで東京に行き、6か月ほどその現場だけを担当し最終的に1500万ほどの損失を出してしまいます。

その大赤字を出すまでは仕事に関して何も言われなかったのですが、ガソリン代のレシートに走行距離を書いて欲しい、週1回会議をしよう、など細かいことを言いだし、給料を下げてほしい、とまで言い出した。

そういう細かい事や無駄な会議などが嫌で上場企業の会社を辞めたという私の性格上、個人企業の会社でそれをするのは本末転倒だと思い退職。

フリーランス時代(現在)

現在、大規模修繕工事など、工事現場で施工管理をしています。

賃貸・分譲マンション、テナントビル、電力会社・宗教団体などの大規模修繕工事を経験し、現在に至っています。

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