プロフィール

田中 ヒデキ

学生時代

中学の時、全国大会常連の体育会系クラブに入部した為に、休みは中間・期末テスト期間のみ、毎日7時から朝練をし、土日は毎週他校との対外試合の為電車で移動する、という日々を送る。

その成果もあり、スポーツ推薦で高校に入学するのだが、そこは中学よりも厳しく、中学3年の年明けから授業が終わるとその足で高校に移動し入学前からクラブ活動をする。その後、学校はナイター設備も完備して夜7時半まで練習ができ、その後ランニング、片付け、着替えを済ませ、家に帰るのは9時~10時頃、正月も午前のみ家族と過ごす時間をもらえ休みですが、午後からは通常の練習、という日々を送る。

指定校推薦で関西学生リーグ5部(1~8部リーグまであり、各リーグ6校、春・秋の総当たりリーグ戦で1位と6位が入替戦を行う)の大学に入学することができ、そこは中・高校とは違い天国のような環境で、大学って何と素晴らしい所だ!と感激する。初めて髪の毛を伸ばすことができ、中・高校では必要のなかった私服も新鮮で、バイト・麻雀・パチンコと遊び放題の日々を過ごす。

遊びながらもクラブ活動は続け、引退する3年の秋には1部リーグの6位まで成績は上がっていました。

私の時代はバブルの終焉時期であり、超売り手市場ではありませんでした。就職活動は4年の4月から始めるのが通常であり、中学から10年間クラブ活動三昧で、勉強など全くしてこなかった私は将来のことなど考えたことはなく、いざ、その時が来ると呆然となってしまう。

とりあえず、スーツを着て仕事がしたいクラブで1番仲が良かった先輩が専門商社に就職したので私も専門商社に狙いを絞る。

説明会を行っているかどうか東証1部上場企業に電話で確認をしだしたのは6月に入ってからであり、周りでは既に内定が出ている状況でした。

5社ほど説明会を聞きに行き、適性検査試験、1次面接、2次面接、3次面接、最終面接と進んでいき、最初に内定をいただいた会社に決め就職活動を終える。理由は暑くてこれ以上就活したくなかったから。

社会人生活

東証1部上場の専門商社に入社し九州担当の営業職に就く、月の半分は出張で仕事自体は楽しかったが、扱っている商品に将来性を感じるものではなく典型的な年功序列体系もどうかなぁと思い退職。

父親の知り合いの塗装会社に転職、、その後2社の塗装会社を経験。

最初に父親の知り合いの塗装会社に入ったのが良かったと心から思います。

塗装会社と一口に言っても、建築塗装・鉄骨塗装・板金塗装・設備塗装などがあり、それぞれ仕事内容が違います。
私が入ったのは建築塗装会社で、建設会社(ゼネコン)から直接仕事の請負をする業者であり、マンションや公共工事、工場などの新築工事。
地元不動産会社の管理する物件の外部改修工事、入居者入れ替えによる内部塗装替え、バルコニー床防水工事などが主な仕事でした。

性格が細かく誠実な仕事をする社長で、事あるごとに、”自分の家を塗装する”という気持ちで仕事をしろ、と言われていました。

職人が15人おり、その内12人は他の塗装会社にいれば1.2番手になれる技術のある職人で、新築のボード面の壁、天井は総パテしごき、モルタル面も総パテしごき、内部の木部・鉄部は一旦仕上げてていても、クロス屋の後に再度上塗りをする。そのような会社でした。

1つの会社だけでは他の塗装会社がどのような仕事をするのか分からないこともあり、退職し、その後2社の塗装会社を経験。その2社も建設会社(ゼネコン)から直接仕事の請負をする業者で、2社目は日本塗装工業会の副理事長をしている会社、3社目は創業50年の会社で合計20年以上経験しました。

現在、大規模修繕工事の現場管理を請け負っています。

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